2020年10月

関西ボクサークラブが初めて審査会を開催したのは、1992年のことです(多分)。
カタログが見当たらないので確認することもできず・・・

「第1回 西日本ボクサークラブ単独展」

大阪市淀川河川敷での開催でした。
当時、地区クラブ単独で審査会をすることができない規定だったので、中部ボクサークラブと一緒に、地域クラブ「西日本ボクサークラブ」を作って開催したものです。
「西日本ボクサークラブ」は、ちゃんと届け出をして設立したクラブなので、今も存在する・・・はず?


大阪単独展1

左から、アルフ(CN:ボス)&私の両親、鳥海さんの奥さま、塩見さん(副会長)
イルザ(CN:ハナ)&榮山さん(会長:ヴェストリッヒヘルト犬舎)
政木さん(幹事:フェストバオム犬舎)、井上さん、鳥海さん(中部BK:ヤングハズバンド犬舎)

大阪

左から、ドイツ輸入犬ダーコv.オスタートァ&鳥海さん、石原審査員(フェルスフェルト犬舎)、酒井勝さん(クレセント犬舎)、アーネスofブナグリーン&榮山さん、佐々木審査員(ブラウハイム犬舎)

アーネスは、オランダ輸入犬Ch.トビアスv.d.ホエヴァーボスの息子。

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大阪単独展2

左から、アンカv.フルスウーファ、ドイツ輸入犬ピアv.d.フリーゼンペルレ&鳥海さん

アンカv.フルスウーファは、私のCh.gボスv.d.グローセントロイメンの父である、Ch.gアランv.フルスウーファの同胎。

                                                 ドイツ輸入犬 Ch,g ダーコv.オスタートァ
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                                              ドイツ輸入犬 Ch.g ピアv.d.フリーゼンペルレ
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ダーコとピアのペアから産まれたCh.gファラーofヤングハズバンドが、パズー(Ch.アトラスv.d.アウクエプフェル)のファミリーの祖。
一昨年亡くなった鳥海さんがドイツから輸入した血脈は、28年経った今も関西BKのボクサーたちの血に脈々と受け継がれています。

                                        Ch.gアルフv.ビンゴロスイ(9歳半) この日は見学組
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                                       左:ダーコ 右:アリンダv.フェストバオム(アルフの娘)
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オランダ輸入犬 Ch. トビアスv.d.ホエヴァーボス
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トビアスは、当時の日本のヨーロッパ系ボクサーには全く無かったタイプで、その堂々とした頭部と骨格、派手な立姿で一世風靡しました。
写真はあまり出回っていないので、貴重だと思います。

カタログも残っていないので、当日どのくらいのボクサーが集まったのかよく覚えていないのですが、記憶している限りは、この他にもドイツ輸入犬 Ch.g ヨニーv.d.モレクヴェレ(中部BK:関谷さん所有)も出陳されていたので、頭数はともかく、当時の日本を代表するボクサー達が集まっていたことは確かです。

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右の眼鏡でふざけているのは私の父なのですが、この日の父より今の自分の方が歳上なんですね。
そう考えると、30年の月日はとても長く感じますし、あっという間に歳を取るのだなぁとも思います。

小村記

関西ボクサークラブにおける繁殖第1号は、グローセントロイメン犬舎のA胎で、1991年6月のことでした。

今はじめて、来年うちの犬舎が30周年であることに気付きました

父犬は、私の初めてのボクサー、ボス(CN)
母犬は、関西BK会員の所有するアキナ

つまりうちのA胎は、借腹での繁殖でした。

                                             パパと仔犬たち
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                                             父 Ch.g アルフ v. ビンゴ ロスイ
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     母 アキナ v. ゲルトナー
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記念すべき第1号の繁殖から世に出たボクサーは産まれませんでしたが、これ以降30年間の関西ボクサークラブにおける繁殖では、会員数の増加と共に日本を代表する素晴らしいボクサーをたくさん輩出してきました。

クラブ設立以降、タイトルに関わった犬舎だけでも以下に挙げるとおりこれだけの数が世に出しました(過去現在のクラブ会員含む)
※( )は、以下のタイトル獲得犬やその親となったボクサー
・日本チャンピオンタイトル(Ch、Ch.g)
・ボクサークラブビクタータイトル(Vic、Vic.g)
・日本訓練チャンピオンタイトル(T.R.ch)
・日本服従訓練競技タイトル(GH.Ch.g)

<関西ボクサークラブが輩出した犬舎とボクサーたち>
◇マンク
(Ch.gグレイス、2017Ch.ヘレン)
◇グローセン トロイメン
(Ch.gボス、Ch.gカーリス、T.R.chカルロ、カリマ、2009Vic,Ch.gダーリア、ダリウス、デモニー、Ch.gエクリプス、エルゼ)
◇ベストリッヒ ヘルト
(2007Ch,2006Vic.ブレイヴィ、Ch.g,Vic.gバレン、Vic.gビスマルク)
◇ジーガー クランツ
(Vic.gアリシア、Ch.g,Vic.gボリス、ベラルダ、Ch.g,Vic.gカシアス)
◇ローゼンカマー
(Ch.gアップライゼ)
◇ヴィーゲンリート
(2007Ch.2006Vic.アルフ、Ch.g,Vic.gアンジラ、Vic.gベルター、Vic.gボニー、Vic.gビータ)
◇ゼロ インフィニティ
(2010Ch,Vic.gアドルフ)
◇バンブス シュプレスリンク
(Ch.gアルヴィザ、2011Ch,2010Vic.ベアトリス、2012Ch.クララ、2014Ch.セシル、2018Ch.ディータ)
◇ノイエングリューク
(2009.Vic,Ch.gアトム、Ch.g,Vic.gアルト)
◇ジルバーナーフリューゲル
(2012Ch,2010Vicアゾルフ、Ch.gアポロ)
◇メンシェン フロイデ
(アレクサ)
◇ベルトハイトジャパン
(Vic.gアマンダ)
◇ヴェルペンシュプーァ
(GH.Ch.gアフラ)
◇グレンツェ
(Ch.gアーデル、2016Vic,Ch.gブルーノ、Ch.gバルダー)
◇アウク エプフェル
(2014Ch.アトラス、2016Ch.アマロ、GH.Ch.gアキム)

今後追って、関西ボクサークラブが輩出したこれら日本を代表するヨーロッパ系ボクサーについて紹介していきます。

小村記

本日、関西ボクサークラブ創立30周年

30年前の今日のことは、数日前の準備からよく覚えています。
案内状の作成から当日の冊子作成、場所の確保や昼食会の手配・・・
今こうして思い起こしてみると、あれが30年前だなんて信じられないくらいに鮮明に覚えています。

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設立記念の鑑賞会を、兵庫県龍野市(現たつの市)揖保川河川敷で開催しました。
私はカメラマンもやっていたので、ここには写っていません・・・

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初公開!
関西ボクサークラブ設立記念鑑賞会のカタログ
慣れないワープロを使って、切り貼りで作成したのを覚えています。

表紙は、Klubsieger Kim von der Lustigen Grille
何故Kimを表紙にしたのか覚えていませんが、後に彼の子孫を迎えるなんてことは全く想像していなかったことは確かです。

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初代会長には榮山さん(故人)、副会長には、前年1999年に知り合った塩見さん(故人)、そして実務を担う幹事長に私
顧問の三村さんは、この当時は中国にお住まいでした。

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PD本部から会員名簿を取り寄せて、顔を見たこともない人に連絡をしてかき集めて、やっと12名でした。
集合写真を見ると一見賑やかに見えるかもしれませんが、当日集まったのは確か6家族だったと思います。

それにしても・・・この時代からカタログに祖父母犬までの血統を記載しているのは、日本ではこの会だけだったのではないでしょうか

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鑑賞会の様子。
この子は、アキナ v. ゲルトナー(CN:アキナ)
ドイツ輸入犬 ボニーv.d.ポルタプレトリア(2-2)の極近親繁殖犬であるこの子こそ、私のグローセントロイメン犬舎のA胎の母犬なのでした。
これもきっと初公開ですね。
右でアキナを見ているのが副会長の塩見さんご夫妻

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榮山さんのハナちゃん(イルザ v. マイヅルナカオカ)
この時はまだ2歳半、翌年4月に日本チャンピオンを獲得します。

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この日、私が写っている唯一の写真(後ろ姿
途中から雨が強くなって、橋の下に逃げ込んだことを覚えています。

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塩見さんご夫妻に溺愛された、Ch.g ハイコ v. カニスメージャー(CN:マーク)
父母ともにドイツからの輸入犬で、父は1985年日本チャンピオンのギターノv.オストパルク、母は歴史的名種牡 Xanthos v. Bereler Riesの娘、ヒラリーv.オイレンホルスト
当時の世界レベルの名血統です。

こうして関西ボクサークラブは発足したのですが、本格的に活動できるまでには10年近くの月日が必要なのでした。

小村記

関西ボクサークラブ(以降、関西BK)設立の背景についてはVol.1でお話したとおりですが、まずは設立者である私と榮山さんが魅了されたボクサーたちについて触れたいと思います。

私が初めてボクサーを迎えたのは、1983年12月。
小学6年生のクリスマスプレゼントでした。

                                                      Ch.g アルフ v. ビンゴロスイ 1983(CN:ボス)
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翌年の夏休みのこと。
1泊2日の家族旅行に行くにあたって、ボス(アルフのCN)を預かってくれそうなところを探していたところ、獣医から警察犬訓練所を紹介されて預けることになりました。
旅行から帰って迎えに行くと、訓練士さんが、

「この子は私がこれまで見てきた中で最も良いボクサーだから、騙されたと思って審査会に出してみませんか?」

とお誘いを受けて出陳してみたのが始まりでした。

父がヨーロッパ系、母がアメリカ系という血統で、それまでにもJKCでR.KINGに入賞していたこともあり、PD(日本警察犬協会)の審査会にも抵抗なく出陳したのだと思います。
関西チャンピオンから始まって、西日本チャンピオンに。
翌1985年には、未成犬クラスで日本チャンピオンを獲得しました。
成犬になると、母方がアメリカ系ということもあり思ったほど充実せず、3席を2回という成績でしたが、それでも当時70頭近く出陳されていたのですから日本を代表するボクサーの1頭だったのだと思います。

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榮山さんは当時京都の舞鶴にお住まいで、舞鶴には「マイヅルナカオカ犬舎」という、当時名犬舎のひとつがありました。
中岡さんにお願いして数年、やっと手にした初めてのボクサーがこの子。
私よりも5年後で迎えたのでした。

                                                  1991N.ch イルザ v. マイヅルナカオカ 1988(CN:ハナ)
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ハナ(イルザのCN)は、当時独身だった榮山さんに溺愛された可愛い女の子で、月に一度は我が家に遊びに来て、ウレションをリビングにまき散らしてくれました。
父犬は、ドイツ輸入犬で1985年の日本チャンピオン ギターノv.オストパルク
母犬は、1989年日本チャンピオン グリーマv.マイヅルナカオカ
当時、バリバリの超良血犬でした。
ハナ自身も、成犬クラス2回目のチャレンジで1991年の日本チャンピオンを獲得しています。
つまり、関西BKで初めての日本チャンピオンタイトル犬が、このハナです。

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私も榮山さんも、この2頭に魅了されてドップリとボクサー街道まっしぐら。
今考えてみれば、ふたりとも最初から素晴らしいボクサーに恵まれていたからなのでしょうね。

関西BKのボクサーを語る上で、この2頭の存在は外せません。
この2頭から、すべてが始まりました。
私たちが彼らに出逢っていなければ、今の関西BKは無かったのですから。

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こちらは、笑っていただく画像(この日強い風で、どんでもない髪型に・・・)
1989年の特別日本チャンピオン展でのショット。
ボスと一緒に写っているのは、高校3年生の私と、右が繁殖舎の内田さん。
左は、私の家族にボスを紹介して下さった恩人の村井さんとボスの娘、アリス of ワイルドチェリー
この日、父娘で成犬クラスの特別日本チャンピオンを獲得しての記念写真です。

この1年後に、関西BKが設立されたのでした。

小村記

10月7日(水)、公益法人社団日本警察犬協会 関西ボクサークラブは1990年の設立から30年を迎えます。

クラブ設立の切欠は、私(小村)自身にありました。
1990年3月、大学浪人生活の1年を迎える前に、神奈川の犬友宅に数日滞在し、ドップリとボクサー三昧の日々を送っていました。
その中で、横須賀三浦ボクサー愛好会(当時)の集まりにお招きいただいたり、皆さんのご自宅を訪問させていただいたのですが、日本のヨーロッパ系ボクサーを代表する素晴らしい犬達を見せていただいたり、老若男女が楽しく集い、ベテランからの解説や昔話を聴かせていただく中で確信したことがありました。
それは、これだけ素晴らしいボクサーが集まっているのは、このようなコミュニティの存在が深く関係しているに違いないということです。

関西でもボクサークラブをつくりたい!!!

当時18歳だった私は、関西に戻ってすぐに、その前年に知り合った犬友の榮山浩吉さん(当時33歳)に電話しました。
神奈川で見てきたこと、クラブの設立に協力して欲しいということを熱く語ったことが昨日のように思い出されます。
こうして、その日から約半年後の1990年10月7日(日)、関西ボクサークラブを設立しました。

・・・はい。私は受験を直前に控えた浪人生でした

当時関西地区におけるボクサーの数はとても少なく、審査会や繁殖している人はほんの数人、しかも殆ど経験の無い人ばかりでした。
関西での設立を受けて、その後中部ボクサークラブ、神奈川静岡ボクサークラブが続けて設立されました。
関西ボクサークラブは、この両方の設立に深く関わっています。
後にInternet社会に突入してすぐにサイトも立ち上げ、新たなチャネルを生み出しました。
私にとって神奈川での素晴らしい数日間は、私のその後の人生と、関西圏のみならず、日本のヨーロッパ系ボクサーのコミュニティに大きな影響を与えたといっても過言ではない、そんな日々になったと思っています。

そして関西ボクサークラブについて話すとき、私には盟友榮山さん抜きには語れません。
その榮山さんが亡くなってから17年が経ちました。
17年経って、こうしてまだクラブ活動が続いていることを一番に伝え、捧げたい人です。

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30周年の記念に、いまのメンバの皆さんや全国のボクサー愛好家の方々に向けて、何度かに分けて関西ボクサークラブの歴史についてお話してみたいと思います。

画像は、1999年秋、西日本ボクサー単独展にて

小村記

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